日本のローカルデザイン
●地域活動満載の日本
町内会、商店街組合、商工業組合、青年会、JC、協議会、実行委員会、審議会、NPOなど多くの団体が地域の住人を招集して日々、昼夜、土日曜祝日なんらかの活動に勤しんでいる。それらは、お祭り、イベント、ワークショップ、セミナー、産業振興、ボランティア活動、生涯教育など、まちづくりを目的としたものがほとんどだ。日本中まるでランナーズハイにでもなったかのような勢いである。そして、ソーシャルビジネス、コミュニティビジネスと称する事業化が盛んになっている。新たな市場づくりが本当に地域の人々、環境、産業にとって必要なのだろうか、メリットがあるのだろうか。よく考えてみたい。この新しい市場というのは、問題解決型事業は少なく、それまで使用していない、食べていない、訪れていない、サービスされていない、つまり本来必要ではないものを魅力的なプロパガンダによって商品化して人々の欲望を喚起している場合が多い。新たな欲望事象をこれまでの生活に付加することになっている。その付加を維持するために、さらなる付加(雇用・エネルギー、経済、環境への負荷)を要している。その市場が衰退、脆弱化した時、残るのは負荷だけである。
地域のキャパシティを超えたスケールの市場がもたらすことは、持続への疲弊と負荷だけである。伝統という言い訳をしながら日常でその地域の人々が使用していない、食していないものが名産物としてブランド化されている現状。物産のアウトレットとなっている道の駅、テーマパーク化している町並み、それらを見て食して確認して土産をもって帰ることでその場所に訪問したことを証明する観光客。土産物の購買はリピートしない。これらの市場は消費者の懐を取り合っている。新しい市場がひとつ生まれるとひとつは消滅していく運命だ。今、生活費の固定費の占める割合が高まるなか、縮小する流動費を奪い合う市場開拓。それによる雇用創出は、その賃金、資金確保のために新たなビジネス創出という堂々巡りだ。その資金は消費者の懐から奪い合い、税金からの補助金という点滴であったりする。また、地域人口よりも多い来訪者への公共サービス(エネルギー、ゴミ、インフラなど)の準備投資は観光地化された地域ではかなりの負担になっている。日本全体で考えると数億人分の規模に及んでいるはずだ。日本中の地域が自分たちの生活適正規模の数倍以上の公共設備投資をしている。「おもてなし」や「お裾分け」は日本の美徳なのだが、次にやって来るのは絶滅という危惧である。生態系、風景、伝統技術を失ってしまう危うさである。
●47コースの徒競走
またここも? と感じるまちづくり活動の空気を感じる地域が急増している。どこも、コンサル的ノウハウ、広告代理店的ノウハウを忠実にやっていることで、日本中の地域の均質化、序列化が進んでいる。売り上げ、集客、知名度、社会貢献などの成功例をかかげた地域は羨ましい。それら成功例をお手本に、どこに行っても同様の味、サービス、価格による安心感、同様に得られる感動といったまるでチェーン店のような地域だらけになっている。日本一の夕陽が眺められる場所は日本中無数にある。日本人は日本一が好きだ。B級グルメのような自虐的な大衆コンテストもそのひとつだ。47都道府県が皆、何らかの地元の資源で日本一を目指している。みんなが足を揃えてやっているからこそ安心なのだ。
●3000人、200人,30人
ここ数年訪れているまちがある。イタリア・サルディニア島の標高1000mに位置し3000人が暮らすパッターダ村である。ここには今、世界が注目するナイフ職人たちが暮らしている。私はこの職人たちの家系や生活、技術継承の調査を続けている。彼らは年間たった100本程度のナイフを制作することで家族を養って豊かな暮らしを続けている。20代から50代までの18人の職人が暮らすこの村には、土産物屋はない。刃物の組合もない。彼らの工房で働く弟子もいない。ナイフ職人を目指した者は物心ついた時から地域の中で技術独学で訓練し独り立ちしていく。羊飼いのように孤独に日々一本のナイフをつくり続けている。それらナイフの形はみな同じである。サルディニアは羊飼いの島である。人口150万人に対して羊は500万頭いるらしい。その羊飼いたちが必帯していた伝統的なナイフがそれである。彼らのナイフは市場に出回らない。パッターダ村まで訪れて彼らの工房で交渉して手に入れるしかない。職人それぞれの魅力がナイフに微妙に現れている。それを見いだすのは買い手の目に任されている。広告、宣伝の意識はない。そして予約できたとしても数年、人気の職人であれば7年ちかく待たなければ手に入らない。この村はそんな職人を抱えていることを誇りとしている。この村の人口は150年前から減っていない。こんな奇跡のような地域と暮らしを目にした時、今の社会で、誇りをもって自分たちが信じる伝統的な暮らしの持続がどれだけ希有なことなのか。大切で幸せなことなのかを感じさせてくれる。
もうひとつ、韓国の南の島、済州島の沖4kmに位置する小さな離島、加波島で将来にむけたヴィジョンづくりのお手伝いを始めている。サザエやアワビを漁して暮らす海女が暮らす人口20人ほどの島である。この島の誇りは島の周囲の海の中に海女たちの縄張りである場所名称が多く存在していることである。海の中に畑、土地があるわけである。この場所を特定できるのはこの島の人たちだけである。そんな風景資源に価値を見いだし、生活の糧を生み出す場として、海女の伝統を守ることがこの島のミッションと考えている。離島の生活は厳しく持続を謳うことは住人に対して無責任にも聞こえる。しかしこの固有の風景と文化は韓国の宝であり、それを支えることが韓国社会に求められている。手遅れになる前に。日本が捨て去った風景と文化がここには存在する。そして、毎年研究室の合宿地として訪れている集落がある。高知県四万十町(1旧大正町)の山村、下道地区である。ここは30人弱の70歳を超える高齢者が暮らす限界集落である。この地区にある廃校になった小学校の再生に10数年前関わったことから研究室の活動拠点として訪れるようになった。高知の県鳥であるヤイロチョウが生息することでも有名な地区である。集落の山々は日本野鳥協会が買い取り保護に努めている。ここ10年通って気づきはじめたことは、限界集落を開発することへの疑問である。地区の人々の生活にはリズムがある。自然に対してモラルがある。とても礼儀正しい付き合いかたをしている。道端の草木の手入れを目にした時、畑の風景を見た時、石垣の石積みを見た時、日本の里山の豊かさを感じる。この集落の終末をどうやって閉じていけばいいのか。毎年、学生たちとこの集落に滞在しはじめて10年、最近そんなことを考え始めるようになった。里山で人が暮らした記憶と痕跡をいかに残すか。これから縮小していく日本の社会を支えなければいけない今の学生たちと考える場となっている。
●遷宮から学ぶ、地域の未来
今年は式年遷宮の年である。それも、伊勢神宮20年ぶりと、出雲大社60年ぶりが同時に行われる稀な世紀だ。遷宮がもたらすさまざまな社会的価値について考えてみよう。20年は人が成人する歳月だ。このサイクルで新規更新することは建築や造園をふくめた伝統的な技術の継承が可能となる。棟梁が全国の多くの職人を束ねていく。職人たちは、彼らが使用する道具や材料の調達も必要となる。道具を制作する職人の継承も不可欠だ。1300年にわたって続けられている伊勢神宮の遷宮においては、毎回1万本以上の檜材が用いられる。その樹は御杣山と呼ばれる長野県と岐阜県にわたる林野庁が管理する森から供出される。檜材が遷宮で使用できるまでには200年以上の年月が必要だ。将来にむけて、檜の調達と森の維持管理のため林野庁は1925年から植樹を開始した。1925年に植樹した檜は2125年に供出可能となる。京都の楽家のしきたりも似ている。3代先(100年後)の子孫が使用するための土を作り熟成させることが家訓だ。自身は3代前の先代がつくり育ててくれた土で茶碗を焼く。次代に託し、先代から託された資源がつながっている。神宮で20年間使用された材は解体撤去された後、日本中の神社に振る舞われ修繕や維持に使用されていく。ゼロエミッションというリサイクル、リユースの意味だけではない。使い込まれて醸成した材を用いる美意識が継承される。そして、式年遷宮の8年前からさまざまな催事が行われ、準備が始まる。完成を期待させるプロセスが用意されている。つくるという公共事業だけでなく、観光、イベントとしての景気への貢献となる。
上記で述べたことは新たな市場づくりではない。長い将来にむけた社会の仕組みづくりである。これは米国の経済学者S.グズネッツが提唱してきた20年サイクルの景気波動に合致している。彼が批判していたオーストリアの経済学者].A.シュンペーターの経済理論はまさに今の日本、世界の経済状況だ。市場拡大と常に流通、景気誘導によって通貨をフローさせることによって社会が回るという原理。日本の多くの地域がその波に呑まれ競争している現状はまさにそれだ。イノベーションを求め続け、持続は停滞と考え、停滞は衰退とつながっていく。そのためには常に自転車操業を強いられ走り続けなければならない。そこには未来へのヴィジョンが見つからない。遷宮の教えは過去の価値、資源を引き続き、未来へ、次世代へ、確実に託すためのものである。
●日常生活の豊かさに気づく
今、私はイタリアのアブルッツオ州の小さな村でこのメッセージを書いている。2009年に地震による大災害を受けた地域である。4年経った今も修復、都市再生の作業はまったく進んでいない。州都であるライクラ市の市街地はいまだに無人のゴーストタウンである。古い歴史的市街地の再生には一体これから何十年かかるのだろう。しかし彼らは以前の生活の姿、風景に戻すことにまったく疑問は抱いていない。一歩一歩修復作業が続けられている。風景の記憶は次の世代、未来への宝なのだ。このまちに日本政府の支援で建設された仮設の音楽ホールがある。新しいものをつくることが建築家の正義なのだろうか。このホールは東日本大震災の2カ月後に竣工した。地元の方々からの感謝の言葉の裏には、倒壊した歴史的市街地の再生にむけた技術や資金の支援を望んでいる空気を感じる。郊外に移転した生活場で人々が望んでいることは、市街地での元の生活に戻ることである。2011年の東日本大震災で被災し未だに避難生活を強いられている東北の29万人の人々が夢見ていることも同様に、震災前の日常生活に戻ることである。まち、地域の暮らしはその土地のもった慣習と資源によって支えられている。そのバランスによって脈々と続いてきた歴史と記憶がある。そして地域それぞれの生活スタイルがある。今の日本では、そのスタイルを守ることは一種ネガティブな意識としてとらえられている。経済的なものさしと補助金を携えて、笑顔のコンサルタントが日本中を闊歩している。彼らは地域という静かな蜂の巣を突いてしまった。日本中の地域は起こされ、そっとしておいてはくれない。
●デザインの使命と可能性
地域の人々は日々の営みのなかで、効率を考えないで手間ひまかけて無駄とも思われる生産活動を続けている。実はそこにデザインの本質を見出すことができる。明るい将来ではない。豊かな未来でもない。確かな未来のヴィジョンを描くことであって、そのヴィジョンはネガティブなものであってもいい。地域の終末の美しく価値ある閉じ方を考えることもデザインの力で可能だ。縮小していく日本の未来をデザインすること。デザインは正義ではない。地域の価値は創造するものではなく、必然に存在するものである。見つけなければならない。地域の文脈は読み取るものであって創造するものではない。地域の魅力は客観的な尺度の価値観であって一方向からのプロパガンダで繕い虚栄化するものではない。地域の個性や資源をわかりやすく説明すること。ローカルデザインは地域へのレスポンシビリティと消費者へアカウンタビリティを担っている。
(地域開発誌 2013年11月号掲載)
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