Innami Synthesize Planning

印南総合計画

地域の新しい日常・ニューノーマル

 2019年度の終盤から世界を襲った災いは、それまでの日常を大きく変えていくことになった。人の移動や対面するコミュニケーションを自制した生活は、これまで学生たちが当たり前のように過ごしてきた大学での生活や、地域での活動ができなくなるということだった。地域に寄り添うという言葉がこれほどまでに重く感じたことはない。現場で活動してきた近江楽座の取り組みが、傍観者のような意識になり、顔が見えない不安を感じるようになってきたのだ。遠隔の活動に実感を持てず、腑に落ちなくなっている。居住地と活動地域が離れているということは、元々学生たちに戸惑いはないはずだ。しかし、離れた場所から地域に寄り添うという日常は想像できない。そんな新しい日常とはなんだろう。ニューノーマルと呼ばれた時代はこれまでもあった。第一のニューノーマルはITが社会システムとなる変革の時に言われていた。第二のニューノーマルは、リーマンショック後、経済の持続社会への変革の時だった。そして今、第三のニューノーマルは、移動を制限して人同志の接触機会を減らす新しい生活様式への変革である。これまで、バブル世代と呼ばれた学生たちがいた。ゆとり世代と呼ばれた学生たちがいた。現在の状況を頑張って過ごしている学生たちは、今後コロナ世代と呼ばれるだろう。時代で変化していくことに一喜一憂することなく、普遍的(ノーマル)な活動を息長く続けることが地域活動である。そこにはしっかりとした考え方と理念は必要だが、紋切り型のノウハウは必要ない。時代と共に学生たちが創り出す自由で多様なメッセージは、すこぶる新鮮で、私たちの未来を探るヒントが満載だ。
 学生の役割とはなんだろう。何歳になっても地域での役割はある。学生たちは自分たちが成長していくための過程として、寄り道のような感覚で地域に入っていく。地域のためにと考えていた正義感が、実は自分のためだったことに気づく。それが最後はみんなのために変わっていく。そんな好循環が生まれる日常がノーマルであって欲しい。
 この報告書は2年前から1年前までの学生たちの成果を振り返っている。その後現在までの1年間、誰も想像もしなかった惨状の世界を私たちは目にしている。それまでの日常がどれだけ自由だったのか、そのノーマルな豊かさを改めて感じている。学生たちの日常は、そんな渦中であっても大学生活に自粛はない。どんな形であっても学ぶための可能性を探している。それは地域活動でも同様だ。祭り、イベント、集会といったハレの時間だけが地域の日常ではない。静かな普段の日常への眼差しを鍛えていく1年であって欲しい。新しくはないかもしれないが、当たり前の日常、それをニューノーマルと呼びたい。
 近江楽座の取り組みで、地域と共に過ごした体験は、懐かしい日々の記憶として残るはずだ。その記憶の中から既視感のある日常を感じることが郷愁なのかもしれない。滋賀県立大学は、地域に根ざしたふるさとのような大学でありたい。

↑to the top of this page↑