Innami Synthesize Planning

印南総合計画

地域の居場所を見つけよう

 私には今、いくつかお気に入りの場所がある。何の目的もなく通りがかった場所の居心地のよさに惚れて通い始めたまちもある。私たちは毎日一定時間を同じ場所で過ごす生活習慣から、それぞれの日常という意識を作っている。そんな中、私たちは居心地のよい場所を持っているだろうか。気に入った場所を見つけることも大切だ。気の合う人と居合わせることで、仲間ができ、その場所が居心地良くなることがある。しがらみのない知らないまちで、初めて合う人たちと、興味の赴くままに趣味的な活動をはじめてみる。時間の許す範囲で十分だ。そんな活動には、地域の営みが一変するようなヒントが溢れている。まるで合言葉のように仲間たちとの意思決定が自然とできるようになる。こうやっていると心地よい居場所が見つかるものだ。
 地域活動という行動のきっかけは、多くの場合個人的興味から始まる。最初は私もその通りだと思っていたが、興味もなくただ何度も通っているうちにファンになり、これまでに学んだ経験を見栄にして住人顔することができるようになった嬉しいまちもある。こんな思わぬことで居場所ができてしまうことがある。学生たちにとっても、「せっかく学んでいる知識を試してみたい。」という活動への使命感や正義感が湧き上がってくるものだ。何を指針にすればいいか全くわからない状態でも、学生時代の一定期間に、やれるならやっておくといいだろう。最近日本全国で繰り広げられている地域活動の中には、余計なお世話活動、必要のない需要喚起、薄っぺらな地域資源を観光化するなど、活動の供給超過が感じられる。何が無駄で何が無駄でないか、先の見通しが立たない中でも活動自体を肯定的に捉えてしまっている。過剰な活動は達成感も大きいが、達成後のモチベーションを保つのが難しい。また、強い継続性がある活動は、厳しいルールと、多くの人的、経済的負荷がかかる。機能不全になり辞めにくくなる罠が潜んでいる。成果や、成功という尺度で活動を続けていると、次第に活動のために活動しているような状態になる。そんな時は、一見非効率そうに見える昔ながらの地域の風習に目を向けてみよう。そこには居心地の良い雰囲気が溢れる場所が見つかるはずだ。必然として継承されてきた風習には地域の人たちの阿吽のスタンスが成立している。そして他を気にしたり、比べたりすることはなくなり、その場所、地域独自の魅力や資源に寄り添うような活動が繰り広げられている。学ぶことは真似ることだ。
 これからは、社会制度の新たな仕組みとして、人々の居場所を見つけ、心地よい時間を共有できる活動が必要となってくるだろう。短い大学時代に学生たちが地域の風習、活動に参画、経験できるそんな環境が、近江楽座から生まれている。様々な異物と遭遇して学び、失敗を繰り返して成長していく。地域のささやきに耳を澄ませ、常に聞く耳を持てる状態を維持することが地域活動の極意かもしれない。



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