(S=Kohei Sugiura 杉浦康平, I=Hiroshi Innami 印南比呂志)
S. 現在進めているデザインについてお話ししたいと思います。「陰陽太極球誕生」というテーマで一冊の本を作ろうとしています。実は本と言う概念からどんどん離れて行ってしまっているのですが、なぜ最初にこのようなプロジェクトについてお話しするかと言うと、陰と陽、光と影は、はっきりと二つに分かれますね、しかし東洋の人々はなぜか中心に曲線を描いて二つが組み合わさるように表現します。今の社会はあまりにも分ける考え方が当たり前のようになっています。私が初めて1960年代にヨーロッパ、西ドイツ・ウルムで生活を始め、大学で教鞭をとり始めた時、学生や教員たちとの付き合いの中で、物事、考え方を二つに分けると言うことにあまりにもこだわりすぎていることに、思いを巡らすことになりました。
I. まさにその頃の杉浦さんのお話を今日はお聞きしたいと思っていました。学生たちからフェライヒト(vielleicht もしかして)先生、パッハップス(perhaps たぶん)先生とあだ名をつけられてしまったと言う逸話があるほど、杉浦先生は、ウルムでの学生指導において、物事をキッパリ分けてイエス、ノーで教育することを避けていたわけですね。学生たちは、一種の東洋の曖昧なイメージを持った教授との奇妙なコミュニケーションを経験したわけです。東洋の持つ、「間」「色即是空」「空」と言う概念が、西洋の物体主義的な概念とぶつかったわけです。
S. 西洋の思考の発端は分けることだったのです。体の右半身、左半身のように。私はこの時まだ若かったので、ウルムの大学での冒頭の現実で、日本、そしてアジアの人間として、自分の持っている本来の概念に気づかされたのです。私は、渡欧するまでは、多くの海外からの情報を得ながら、かなり合理主義的なシステマティック考え方をしていました。1960年代の日本のデザイン界は皆、ヨーロッパの香り、思考、考え方で組み立てられているものをどんどん吸収しようとしていました。それは私にとっても学生時代から卒業後デザイナーになる頃の美学でした。しかしウルムで、西洋的な考え方の根本にあるものは何か、と言うことを肯定的な形ではなくて、疑問府ついたような感覚で確認できたのです。それは私の中では文化比較としてそれぞれ考えていたのかもしれません。街に出ると建物、その中には教会などがありますよね。それらの構造を見ると、基本は煉瓦なのです。人間が自分たちの文化を地上に築くための基本は煉瓦と言えるかもしれません。煉瓦という物質的な部材は、積み上げる、組み立てるという文化です。それだけではなく、ヨーロッパの近代というものを見ると、法律であり文芸でありそこには組み立てるという概念が内在しているのです。そんな視点を持てることも大学で建築を勉強していたことが今となってはとても貴重なことだったと感じています。1960年代の日本人は日本にないものを西洋に求めていました。ひとつひとつ積み上げていくことが近代社会だということを、言葉の上では学んでいるのですが、ヨーロッパに行くと公共環境から住環境の隅々までがそのような積み上げる組み立て方法で出来上がっているということを実感しました。日本でみるヨーロッパ感と現地に住んで体験することの違い、それは若い私にとっては衝撃的だったのです。フェライヒトということを発見すると同時に、これは文化の根底にある根本的な違いだと気づかざるを得なかったのです。
I. 例えば日本は、西洋のストックに対して、フローの文化だと言われていることがあります。かりそめの美学や、伊勢神宮の遷宮のような仕組みは、西洋の人々から見たときに批判的な目で、スクラップアンドビルドの文化ではないかと言われた時代もありました。アーカイブをしっかりストックして文化を醸成させていることに対して、過去をリスペクトしない文化だと。
S. イタリアを起源としたdomusという雑誌についてお話しすると、私はこの雑誌の特異性はスピリチュアルであると感じています。例えばドイツにはバロックのバッハの音楽がありますが、イタリアでは、ベネチア派があって、この人たちが作る音楽は、バッハの明るいところだけを取り出して、それを清純な気持ちで膨らませた音楽を数多く生んでいます。今でもイタリアの現代作曲家の音色は、軽やかで透明性があって、しかもヴィヴィドなのです。ヨーロッパの中でも様々な個性があるのですが、イタリア民族が持つスピリチュアルなものや祭祀の上澄みみたいなものはドイツにはないのです。ドイツのシステマチックな生活の隅々には清潔さというのはあるのですが、イタリアのような霊的というレベルの感性は至っていません。ドイツから帰国して「かたち誕生」という本を出すのですが、それはアジアデザイン論の試みだったのです。この「かたち」という言葉は「かた」と「ち」なのです。「かた」というのはヨーロッパ的な、秩序立って積み上げることや、同じことを繰り返すことなどを「かた」と言います。日本人はそれに加えて「ち」という単語を付け加えます。「ち」とは何かというと、それは風だったり、身体の中を流れる血液であったり、目に見えないスピリチュアルなものであったりします。これらも霊的と言えば霊的なものです。そういうものが巡っていないと、かたちとして受け入れられない、「ち」を塗すことによって美しいかたちが生まれるというように考えてきたのです。このことに、ヨーロッパから帰国することで気づいたのです。
I. 20歳代は日本で自身のデザイン思考を固めていったようですが、その後30歳代になり1960年代のウルムでの経験はかなり衝撃的なものだったのですね。
S. 私にとってみれば、本や写真で見聞きしていたヨーロッパの奥深くで支えているものや、空間の裏側には秩序が潜んでいたとういうことに気づいてはいなかったのです。
I. 「秩序」という言葉がとても気になります。杉浦さんがその後40歳代で出された多くの本はほとんど哲学に関するものでした。その多くで建築家の磯崎新さんと雑誌の監修やデザインで共同されていますが、その中で「マニエラ」という言葉をよく発せられていました。イタリア語のこの言葉は普通であれば様式と訳されています。建築で言えばバロックやロココといった様式用語として認識されています。しかし磯崎さんと杉浦さんが取り組んだ、この本の「マニエラ」は、秩序という言葉が一番近い概念なのではないでしょうか。この時代、エドワード・ホールやデズモンド・モリスが秩序ということを探究していました。
S. エドワード・ホールは西洋人としてはかなり異端な人でした。彼は人の並び、バスを待っている人たちの並び方のディスタンス、そしてその秩序の中からから文化性を導き出そうとしていました。そのようなことに視点をおいた西洋人をそれまで知りませんでした。ホールもモリスも目に見えることの裏にある秩序を探ろうとしていました。モリスはロンドン動物園の飼育係をしていた時、世界で初めてチンパンジーに絵を描かせた稀有な人物です。
I. ホールが比較する西洋と日本の「空」というものの認識の違いが、「即」と「間」という言葉として生まれてきました。その「間」という言葉についてはどのように考えていますか。杉浦さんが60年代ウルムで過ごし帰国後、70年代にアジアのアイデンティティを探り、多くの取り組みや挑戦をされていた時、1978年に磯崎新さんが企画された「間・日本の時空間展」という展覧会をパリの装飾美術館で開催されましたが、その時、音楽家の武満徹氏も参加されていましたが、その展覧会で音、「聲」というテーマの企画もされていました。杉浦さんの持つアジア的なものの中、「かたち」と「音」についてお聞きしたいのですが。例えば文字の世界で杉浦さんは、アルファベットは読む速度と書く速度が同じであると、そして頭文字をとってI.T.やS.N.S.といったように略式ができると述べられていました。漢字はそれが異なるために中国のような、簡体字が生まれたりしています。そこには音と空間が存在していると言われていました。私はその点にとても興味を持っています。その視点で「間」について少しお聞かせください。
S. うまく空間と「間」についてつながるかはわかりませんが、西洋と東洋に違いのひとつに、例えば音楽の演奏会や、CDの編集、ラジオなど、例えば歌が一曲終わると、息つく間も無く次の曲がはじまるのです。曲と曲の間というものがほとんどないのです。3秒、4秒開いてしまったらそれは失敗なのです。東洋の音作りにあるのは実は余韻なのです。先ほど述べました「かたち」の「ち」にあたるのがその余韻なのです。譜面に書かれた旋律が終わった瞬間からの間合いというのが大事なのです。残るものそれが「間」なのです。日本の空間で言えば「縁側」のようなものでしょう。縁側は部屋の中の延長なのか、部屋の外が進入してきたのか、両方の重なりの部分です。実際の機能からすると、そこに猫が寝ていられる自由な空間なのです。そんな曖昧空間それが、音楽の終わりの間合い、目に入らない気配を感じる余韻の空間だと言えます。
I. 書のストロークは間合いでしょうか?
S. 書というのはカナ文字もあります。カナ文字というのは漢字を草書化して素早く描いた物です。手の運動の軌跡です。根本である漢字というのは、縦、横、斜めの八方に広がっています。縦線というのは天の声を地上に下ろして聴くということなのです。横線は水平線として台地の広がりを表しています。自然の情景と気配が組み合わさったものなのです。そのために縦書きなのです。次に何をしたららよいのかということを天にお伺いを立てるための可否を問うものだからです。亀甲らに筋目を入れて火に触れさせてそこで生まれる割れ目を読む、それが漢字の縦横棒の始まりと言われています。そこで行われていたことは何なのかというと、天の上にいる人たちからのお告げを聞くという行為だったのです。文字の中には天と地を繋ぐという、天が語ることを私たちは聞き取りましたと、そういう行為や軌跡が組み込まれているのです。明朝体の書体でお分かりのように、漢字における縦棒の役割は非常に大切なのです。そういう意味でも漢字を描く軌跡、ストロークに潜む上下の間合いは神聖なのです。例えば木という漢字がありますね、あの文字に対する中国人の想いは、昔、甲骨文字として表された古い木の文字には下に大きく根が張った形をしていました。中心を貫くしっかりとした幹の縦棒に、天に向かうものと地に向かうものがつながっていました。我々の世界の太極と呼ばれる無限の広がりに近い木の塊があって、そこにひとつの動きが生まれて、まず先に生まれるものは下に潜んで淀むもの、つまり陰、それ以外のものが軽い陽のものとして旋回を繰り返して無限の広がりを作り出すという陰陽の太極図の動きを生むのです。文字を描くストロークにはそんな隠された意味が存在しています。ヨーロッパにおいては光と影というものは相反するもので、善と悪のように二項対立的に描いて境界線をはっきりさせるのです。木の文字にある根が大事なのか、枝が大事なのかということを縦に繋がる棒を行ったりきたりしていく運動、動きこそが文字を描くことなのです。韓国の国旗にある陰陽図は、まさに宇宙万物が陰と陽のあの動きによって調和し、その相互作用によって生成して発展すると言う大自然の真理を形象化したものなのです。境界線が直線ではなく大きなうねりであり、お互いが浸透し合うことがその動きを象徴しています。
I. エドワード・ホールが彼の著作の中で、陰と陽と同じく、プライベート領域とパブリック領域の考え方も、西洋と東洋での違いを説明しています。しっかりとした分厚い壁に囲まれ、隔てられ、音や光を遮断することで、自身のプライベート空間を獲得できる西洋と、光も音も漏れ、隙間のある紙でできたふすまや戸板で隔てられた空間であっても自身の世界に集中できる東洋との比較をしていました。
S. ドアを開けると家の中という領域に入ってしまう。ドアとはエントランスです。家の中から見ると、そのドアはエグジットのためのものなのです。日本においては、一枚のドアには表裏ふたつの意味が存在しているわけで、出入り口という呼び名になります。そのような領域性に関わる概念の比較はこれ以外にも多くあります。大極的にふたつの作用を重ね合わせて共存させていく、そのような思考方法の表れだと考えられています。なかなか日本人の中でそのような意識、考え方に気づく人は少ないかもしれません。私自身、このように分ける、混ぜるというような文化の差異は、若い頃にドイツで生活した経験によって気づいたわけです。ウルムでの授業の中でも、これはひとつなのか、それともふたつなのか。それともひとつがふたつに分かれているのか、などと学生たちと議論する中で、決定的に異なる思考方法に直面したことが、私の日本人としての思考を再認識させたのです。最初の話に戻りますが、今回進めている新しいプロジェクトである「陰陽・太極球の誕生」についての本は、このような背景の積み重ねから、私の60年近い想いを一冊の本にしようと考えているのです。本は単なる紙の束とも言えますが、ページというフラグメントの集積、時間の集積、そして画像フラグメントと、思考フラグメントの出会いによる空間の集積全てが共鳴しあって、一冊の本が誕生するわけです。私は大学で建築を勉強したせいかもしれませんが、多くの本のデザインを手がける中で、いつもこれら時空間の集積が立ち上がってくるのです。この本は三次元の動きのあるもので、立体的に全ての面から情報メッセージが発せられ、それら同士が調和しあって森羅万象が生まれる、ページ全てが連続しながらもっと多元的に豊かな時空を包み込む可能性のある本になることを期待しています。そして最後に「かたち」の「ち」である命を吹き込むことなのです。
I. 杉浦さんが40年ほど前にデザインをされていた当時はまだコンピュータはデザインの業界にはありませんでした。当時文字を印字するためには、まだタイプライターだったと思います。和文タイプの場合一文字一文字探す作業が必要になりました。その後、時代の流れはスピードアップして、ワードプロセッサーが一気に普及します。ワープロの発明の凄さは、文字を変換によって探索、決定、印字できることでした。読む、書くという動作が、その後のコンピューター、スマートフォンにまで受け継がれて行きます。それは漢字という文字を書くという動作の余韻が次第になくなってしまっているのではないかと感じるのですが。
S. 漢字の字画の多いものは取り残されて、略字にされてしまう。話す、読むという速度に追いつかなくなってしまっています。だから、中国のような簡体字がいいのか?とうと、そうではないと思います。コンピュータ時代に向けた読み書きのスピードの問題と、人によっては、ある一つの文字にゆっくり留まりたいという気持ちがある場合や、「愛」という文字を1時間見ていても飽きないという人がいるかもしれない。それくらいに絵や図のようなものなのです。ダイアグラムと言った方が正解かもしれません。例えば漢字にはひとつの文字の中には多くの意味や要素が共存しています。むしろひとつの意味しかない漢字の方が少ないのです。必ず何かが組み合わさっています。昔の人たちは、へんとつくりでグルーピングしながらそれぞれの意味を構成していました。一文字がとても複雑にはなるのですが、新しい文字が生まれる余力も感じます。漢字文化圏にいるとそのような図像的な共通理解をバイリンガル的にコミュニケーションできるのではないかと思います。韓国の場合、安尚秀さんに聞いたのですが、ハングルの場合は、人間を取り巻く宇宙の大事な要素を基本として「かたち」の「ち」にあたるスピリチュアルな世界を表現していると言われていました。ハングルは基本的には表音文字です。漢字のような複雑な字画を持たず、読むスピードを考慮しながらも、三つの音の間をダンスしているような、動きのある文字だとも言われています。彼の功績は、ハングルという文字のデザインを、あれほどまでに自在で表現豊かなものに到達させたことだと思います。中国の簡体字、韓国のハングル、日本の漢字・かなと、図形言語による共通理解と共に、東アジアの文字文化の変遷、多様性はとても面白く、世界でも類を見ない歴史性を感じています。
杉浦康平プラスアイズ事務所にて
(2021年DOMUS KOREA 11号掲載)
↑to the top of this page↑