Innami Synthesize Planning

印南総合計画

シチリアのワイン情熱家たちの拠所・Cave OX Solicchiata ETNA
 —Sandro Dibella

 三本の足が肥沃な大地の守護母神メデューサを囲む表徴トリナクリア Trinacria。光が満ちる三角形の島シチリア島の古来の名称である。南、東、北を向く三つの岬の彼方から押し寄せるカルタゴ、ギリシャ、ローマ帝国といった外来勢力の波を受けつつも独自の文化を醸成してきた島だ。太陽に愛でられた大地の力と地中海文明の結節点として三千年の歴史の力が、個性あふれる豊かな食の世界を描いてきた。シチリアのワインの歴史は長い。古代、地中海こそがワインが花開く庭園だった。シチリアがまだサヴォイア公国領だった時代だ。当時公国の首都であった現在の北イタリアピエモンテ地方に向けてカターニアの北にあるリポスト Ripostoの港から多くのバルクワインが運ばれていたと聞く。その後、公国はシチリアを手放し、ハプスブルグ家からサルディニアを獲得することになる。それはイタリア統一の起源となるサルディニア王国の始まりだった。この時見捨てられ、その後北部に収奪され続けてきた産業革命以降の暗黒の長いシチリアの歴史があった。
その時代をあざ笑うが如く、イタリア最高峰の火山・エトナ山は50万年前から幾度となく噴火を繰り返し噴煙と溶岩を噴出させてきた。古代ホメロスは、エトナ山はオデッセウスを生け捕りにしたひとつ目の巨人の洞窟とみなした。横雲をまとって静かな姿を見せているかと思えば、明日には荒れ狂って我々を溶かし込む炉と化す。エトナ山の北側地域には現在も異界の風景が広がっている。冷えた溶岩の塊が露出し、黒い土があたりを覆う。この標高1000mを超える土地に新たなワインの楽園が芽生えようとしている。実はこの土地は未開の土地ではなかった。ギリシャ時代からワインの産地として保存熟成が可能な酸が強いぶどう品種が必要だった時代、この地域で産出する薄く酸っぱい固有品種と言われてきたNerello Mascaleseネレッロマスカレーゼ種のワインがバルクワインとして多く取引されていた。二酸化硫黄の効用が知られていない時代だ。しかし近年の濃厚ワインブームの潮流から見過されてきたネレッロマスカレーゼと、この土地のポテンシャルを見つけだした人たちがいる。エトナ山北側斜面のこの地域は溶岩が育んだミネラルが豊富な気泡が多く地中深くまで十分に酸素が回る肥沃な大地なのだ。彼らは2000年ごろからこの土地で老齢の樹齢の小さな畑を少しずつ手に入れ、一本の樹からの収穫を抑え凝縮度を上げたネレッロマスカレーゼを育て始めていた。まるでフランスのコート・ド・ニュイを思わせる力強さと優美さを兼ね備えた葡萄だ。皆、この土地の魅力と可能性に魅かれてやってきた情熱的なワイン職人たちだった。
 この土地にワイン好きを惹きつけて止まないお店がある。Cave OX。主人の名は、サンドロ・ディベッラSandro Dibella。1975年ペディモンテ・エトネオPiedimonte Etneo生まれ。住宅の内装や修復などを専門とする職人の父と地元の果物などを市場で売っている母との間に生まれる。11歳上の兄と16歳上の姉がいる。2011年にワインレストランを妻と一緒に開業した。妻ルチア・ランポッラ(Lucia Rampolla1973年生)はこのレストランのシェフをしている。開業までは近所で11年間BARを経営していた。その時BARに命名したのがこのCave OXだった。Cave OXの意味は牛を飼っていた洞窟の事を意味している。
エトナ山の北側をリングアグロッサLinguaglossaからパッソピッシャーロpassopisciaroに向かうSS120の街道沿いにある人口わずか600人のソリキアタSolicchiata村にこのお店はある。黒い溶岩の大地とエトナ山を背景にワイン畑が広がる標高1000mの村だ。2000年にベルギーから移住してきたワイン商フランク・コーネリッセンFrank Cornelissenとの出会いが、この店が今やエトナを目指してやってくる多くのワイン通たち、料理人たちプロの行きつけの場所となるきっかけだった。世界中のワイン産地を知り尽くしたフランクは、フランス・ブルゴーニュやイタリア・ピエモンテに匹敵する環境と、手つかずの自然のままの大地と原始的な品種のぶどう畑をエトナ山の北側のこの地域に見つけたのである。
Frankのワイナリーが開業したのは2001年。わずか500本を出荷しただけだった。それらはエトナ火山を象徴するマグマMAGMAと命名した。その後もマグマの生産量は毎年1500本程度だ。一本の樹からは2房程度の葡萄しか育てない。何も添加しない。古典的な製法であるアンフォラを使用してながらも厳格に作り上げている。育ちの悪かった年には市場には出さない。ボトルのラベルは一本一本手描きだ。そんな質実剛健な姿勢のフランクが、開業したばかりのサンドロのお店でここエトナに移住してワインづくりを始めて10周年になる記念のパーティをサンドロの誕生祝いも兼ねて開いたことから、ワイン関係者が集まるようになってきた。2000年当時、フランクと同時に、トスカーナからは巨匠アンドレア・フランケッティ Andrea Franketti(Passopisciaro)が、ピエモンテからは、バローロボーイズの仕掛け人マルコ・デ・グラツイア Marco de Grazia(Tenuta delle Terre Nere)が畑を取得してワイン造りを始めていた。よそ者だけではない。以前よりパトロンを得てこの地域のワイン再興プロジェクトを手がけていたサルヴォ・フォーティ Salvo Foti(I Vigneri)。パッソピッシャーロの地元のジョゼッペ・ルッソ Giuseppe Russo(Girolamo Russo)も親の代からのワイナリーを引き次いで彼らと共に新たな生産を始めていた。彼らこの地域の人間関係を繋いでいったのが Cave OXだ。ワインづくりに関する情報、人の情報、マーケット情報など、この店・サンドロの頭の中はこの地域のワイン図書館・エノテカと言っても過言ではない。そして何よりも、彼の妻が提供してくれる地域のテロワール。エトナのフードフレンドリーなワインたちとのマリアージュが当たり前のカサリンガ(家庭料理)が、ワイン情熱家たちにひとときの安らぎを与えている。フランクはサンドロの名のついたワイン(Rosso Sandro)を Cave OXのために毎年500本作っている。まさに貴重なテーブルワインだ。サンドロにとって、「将来に向けて新しいことに挑戦しようなどと思ったこともない。今のこのエトナの環境が幸せであること、ワインに情熱を傾ける人たちの日常のひとときを提供できていること、そしてこの日常を妻と維持して行くことが将来への夢だ。」シチリア島は地中海の真ん中の交易拠点としてこれまで数々の国、民族、文化、宗教が通り過ぎた小さな大陸だ。ギリシャ、イスラム、スペイン、バイキング、ビジネスに関してはマルサラ酒を世界的にしたイギリスの息がとっぷりかかった場所だ。そのことが多くのぶどう品種を生むこととなる。なんども噴火と地震によって街とその生活文化がリセットされてきた。街は修復されて元に戻された場所もあれば、新しい様式でリノベーションされた場所、そして新しい土地で生まれた街もある。シチリアのバロック様式の起源はそのような時代背景からきている。これからの未来においても同様の歴史が繰り返されるかもしれない。それは誰にもわからない。
戦後の混乱期、映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ Luchino Viscontiが描いたシチリアの漁村・漁師の暮らしのドキュメンタリー「La Terra Trema : episodio del mare・揺れる大地 海の挿話」(1948年公開)の次回作として描く予定だったシチリアの農地、農民の暮らしのドキュメンタリー映画は実現しなかった。彼はシチリア農民の現実をどのように描いていただろう。半世紀を経て、サンドロの思いは今世界中のワイン情熱家たちが認めてくれたこの土地をいかに守って行くか、そしてそんな情熱家たちが新たな挑戦をはじめているこの地域に、新しい生活文化が生まれ、後世歴史に刻まれることなのだろう。パッソピシャーロ村を中心とするこの地域には多くのよそ者が小さな葡萄畑を見つけてワインづくりを目指し始めている。ドイツ、アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、日本、中国などから、多くの情熱家が人生の夢を抱いてやってきている。彼らの駆け込み寺と言ってもいいCave OXの懐の深さ、敷居の低さが、彼らの情熱とエトナ山の大地を繋ぎ、奇跡の果実を実らせている。

Sicilia Solicchiata村にて
(2019年 DOMUS KOREA 4号掲載)

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