MT. 服づくりの中では、様々な技術や素材が混在しています。世界に広げて考えるとさらに多くの技術、手作業の世界があります。それらを丁寧に紡いで行くためには時間がかかります。半年でできるものもあれば1年、いやこれは3年なんてこともあります。時間をかけて作るということの意味も考えていかなければなりません。
海外のものづくりの現場には様々な社会状況も存在します。多くのブランドが、フェアートレード、貧困問題、人権問題、環境問題、宗教問題などを掲げてそれら正義感がブランド力になってビジネス展開しているものもあります。
しかしmatohuは、ピュアなものづくりが好きな人が集まってきて一緒に作り上げて行くという家族的な空気感があります。小さな工房のようなものなのです。その小さな工房が、今度はタイで何かやりましょう!と出かけて行って、現地で小さなサテライトが出来、それが現地の人たちの手でそのまま私たちの意思が引き継がれていくような取り組みにしたいのです。そういうことに関わりたい人たちがさらに集まってくる。そんな現象を誘発できたらいいなあと思っています。共有するオリジナルな美意識は、グローバルな現代だからこそ国境や人種を超えて理解し合える可能性を持っているはずです。
IN. 現地、地域の職人さんたちに気づきをもたらすこともmatohuの使命かもしれませんね。
MT. そうなんです。現地の人たちは自身の地域資源の価値と魅力に気づいていないのが現状です。私たちがイニシアチブを取ることではなく、現地の人たちと一緒に作り上げて行くことが重要です。現地の人がその土地と歴史を理解して、その土地、地域の必然的価値を見出して続けて行くということで、しっかりと根を張った取り組みとなるはずです。私たちの工房が落下傘的に登場するのではなく、その土地の人が新たな取り組みをして行くきっかけや、これまで全く関連のなかったものをつなぎ合わせて行くことや、本来の技術の継承をしていくため確信などをもたらしたいと思っています。一種のメディアとしての役割なのかもしれません。
手のひらの旅でやってきたことは、手のひらという身近な感覚を旅で感じる風土的なことが重要で、ここでしか感じられない色や肌触りがあること、太陽の光や空気が違うだけでその土地独特の風土を感じることができるのです。
IN. 18世紀にヨーロッパで流行したグランドツアーなどは、貴族社会のインテリ青年たちの使命でもあったし、ゲーテのイタリア紀行に代表されるような旅の持つ意味には、その土地独自の慣習、美意識をリスペクトし、学んで行くことだったわけですよね。そんな旅を手のひらの旅は目指しているのでしょう。
IN. 男性、女性というテーマでお聞きしたいことがあります。matohuのお二人は男女という性を意識してお仕事をされていますか。同性で仕事されている場合との違い、ご夫婦で仕事されている場合の違いなどはあるのでしょうか。
MT. 私・堀畑はものをロジカルに掘り下げて考える方で、自分の視点を関口に投げかけるという形を取っています。彼女は違う人格ですから、異なる受け止め方や視点があります。出てくるデザインのアウトプットも異なります。異なるものということは、それは私・堀畑が作れない何かがそこにはあるわけです。そのようなアウトプットのやりとり、ミックスによってものが完成されて行くという流れです。仕事上のパートナーとして、関口の立場として役割分担しています。男女としての役割などというものはありません。堀畑がロジカルなコンセプトを構築し、関口が感性的なニュアンスを表現して行くということが多いのです。
matohuのジェンダーレスな表現も私たちふたりでやっているからこそできるわけで、個々ではできません。それぞれが持っているジェンダー性が自然と発生することはあります。女性の持っているオーガニックな感性が脳の働きから自然と生まれてくる場合、それこそ人間の本質が表現できると考えています。彼女の人格と経験から滲み出してくるものであって、女性性とは言えないかもしれません。女性とは、男性とは、というようなバイアスは、私たちは持っていません。
哲学をやっていて一般論について考えたことがあります。一般論とは抽象化した一側面だけを切り取っていることが多いということに気づきました。それによって、排除を生んだり、偏見を生んだりします。一般論とはある意味帰納法から成り立っています。帰納法的に、物事の真理を確定して行くということはあってはいけないと考えています。私たちは性別を一般論で語り、偏見を持つような姿勢はとっていません。男女としての魅力だけではなく、人間としての魅力、ヒューマンアピールができる服でありたいと思っています。それがブランドの在り方にも繋がっています。
私たちがリスペクトする有名なモデルがいます。Stella Tennantというイギリスのスーパーモデルですが、性別を超えた美しさを彼女から学びました。彼女のように、女性として、人として美しい姿をmatohuは目指しています。彼女はすでに50歳は超えていますが、いつかは彼女に私たちの服を纏ってもらいたいという夢があります。ジェンダーレスでエイジレスな人としての存在価値を表現できる服として。
IN. これまで人類が種の保存を続けて男女の営みから社会文化を産んできましたが、生き物が男女の性差を意識し、本能的に華美な表現することで相手を惹きつける手段を取ってきました。人間本来の魅力を引き出すジェンダーレスな美意識とはどういうものなのでしょうか。どういう未来を描いていますか。
MT. 過去を振り返った時、明治の頃の人々の生活を描いた資料を見るとみんなが笑顔なんですね。消費社会が生まれる前の人たちは、貧乏ということがネガティブな要因ではなかったのです。食べ物も着るものも身の回りのことはほとんど自分でやりくりできる。そんな生活をしていたのです。そのことが健全だと思えるような社会に戻ってもいいのではないかと考え始めています。加速し続けてきた社会のスピードを緩めることも必要ではないかと。今の社会が生活にはすでに十分なのだということを知って、バランスが取れるチャンスなのかもしれないと。
少子化とか、経済停滞とか言われている今こそがうまく行くためのギリギリのタイミングだと考えるわけです。真の人間の在り方を考える意味でLGTBの概念が人類を大きく変え始めています。本来の人間らしさを追求する時代になってきています。人類は生物的に種を残すだけではなく、価値観や文化など多くのものを残す使命を持っています。それも一つの在り方、考え方なのかなと考えています。関口は大学で性同一性障害者の人権という研究論文を書いています。これも一つの活動のベースともなっています。
IN. 会場のオーナーであるワコールは日本の服飾文化を多く研究支援してきました。そして槇文彦氏が設計した名作・スパイラルビルの会場で今回の展覧会が開かれることには大きな意味があると思います。この展覧会から学んでもらいたいこと、気づいてもらいたいことはどんなことでしょうか。
MT. 今回の展覧会は慶長の美という前回の展覧会では、ひとつひとつの美術工芸を見れば見るほど、それがどうやって生まれたかという美意識を深めないとわからない。美意識を掘り下げて、それを服で表現することができるのではないかと考えたわけです。
昔の人たちの生活、習慣、言葉から多くの発見があり、それらを積み重ねて行きました。それを16回続けてきたことが、今回の16のテーマになっています。それは私たちが学んで行くプロセスでもあったのです。今から考えると、作り手やお客様も一緒に共有しながら学んできたことが、結果的に16のテーマになりました。これらの言葉は、日常で共有できるような直感的な言葉に溢れています。侘び寂びのような象徴的な言葉はあえて使っていません。陰翳礼讃という言葉は、「ほのか」という言葉に、幽玄を、「おぼろ」という言葉に置き換えたりしました。侘び寂びは、「やつし」という言葉で、日常言葉に置き換えています。実は17番目の隠れテーマがあったのですが、服にすることができず断念しました。それは「ほんかどり」という言葉です。和歌の美意識で歌の数行を取り入れながら展開して自分のものにするという行為のことです。ある意味、模倣であり、うつしであり、オマージュでもある遊び心です。自分たちが新しい美意識を手に入れるための試みでもあります。来場者の方々や、私たちの服を纏っていただく方々には、それぞれの16のテーマが紡ぐ世界の美しい気づき(美意識)を感じていただけるはずです。