「matohu」 その1
Makiko Sekiguchi ・ Hiroyuki Horihata
(MT=matohu : Makiko Sekiguchi 関口真希子・Hiroyuki Horihata 堀畑裕之, IN=Hiroshi Innami 印南比呂志)
「手のひらの旅」
関口真希子、人の尊厳についての法学研究からファッションの道へ。堀畑裕之、カント哲学研究からファッションの道へ、こんな二人が編み出した服飾ブランドmatohu。理性の世界、観念の世界から、手触り肌触りを大切にした衣服の世界をリードしている。日常生活では、住むこと、食べることと同様に着ることは大事な要素である。人々のコミュニケーションの中で言葉以上に、実は纏っている服が饒舌に語っている。彼らの作り出す服にはジェンダーがない。ユニセックスなテイスト、シルエット、サイズ感。matohuの服を纏った人からは、その人のアイデンティティ、メッセージが鮮明に引き出される。15年に渡る彼らの取り組みとこれからの挑戦に注目する。
IN. これまで長年継続して来た取り組み、そして今回の日本の眼という展覧会によってクリアーになってきたmatohuの哲学についてお聞きしていきます。
MT. matohuのブランドが始まってから15年、慶長の美をテーマに5年、日本の眼をテーマに8年取り組んで来ました。そして現在、手のひらの旅という取り組みに到達したところです。ファッションという業界は流れ行くものです。やりっぱなしではなくて、私たちの大きなテーマをしっかりアーカイブとしてまとめて行くということを自覚してやって来ました。流れ行く時間をコンセプトとして、matohuの一つの語源である(待とう)しっかり待ちましょうという姿勢に繋がっています。待つことで生まれてくる新しいもの、そしてまとまったものが生み出す価値をテーマとしています。matohuの語源には他に、まとめるという意味もあるのです。衣服は帯やベルトで巻いてまとめないと、だらしなくなってしまいます。体に布を巻きつけて(纏って)、帯で(まとめる)というmatohuのブランド名に込めた意味を、私たちの取り組み自体もしっかりまとめて一つの取り組みが終わるごとにしっかりまとめて新しい挑戦に備えて行くことでブランドが醸成していくわけです。
IN. お二人がアパレル業界で活動を始めるまでのこれまでの経緯、長い旅路について振り返っていきます。関口さんは、大学では法律を学び、堀畑さんは哲学を学ばれています。卒業後、日本では最高峰の服飾専門学校である文化服装学院で学ばれ、そこではメンズのテーラード、ビスポークいわゆるロンドンのサヴィル・ロウに触発され、現在の活動の原点が当時芽生えていたことが想像できます。アパレル業界での開始はそれぞれYOJI YAMAMOTO、COMME des GARCONSに勤務されます。
MT. まずはクリエイティブなメゾンで働くことが目的でした。当時目指したのは、ISSEY MIYAKE, YOJI YAMAMOTO, COMME des GARCONSの3つの選択肢だけでした。身につけたテーラードのスキルを生かした職場というのは他にもありましたが、クリエイティブな職場でそれも、パタンナーという手を動かす部門で常に布に触れていることが大切だと考えていました。
関口はYOJI YAMAMOTOのメンズ部門に、堀畑は、COMME des GARCONSのレディス部門で勤務しました。本当は、関口はコムデが好みで、堀畑はYs’が好みだったのです。それぞれ自身が好みとしているブランドではなく異なる職場で働くことで、新たなボキャブラリーを身につけることができました。さらに自身の好みが補強され、強いリスペクトを生むことにもつながりました。女性の関口はメンズのパターン、男性の堀畑はレディスのパターンを切る日々が続きました。関口はアバンギャルドなレディスをやりたいという意思がありましたが、メンズで正統的な細部に目を配るテーラード的視点で徹底的に鍛えられたことで自分の中でのボキャブラリーが多くなりました。そのことが現在のmatohuのジェンダーレスなデザインに繋がっています。女性を可愛く魅せるスカートなどは男性の堀畑が担当しています。メンズライクなシャツなどは女性の関口が担当しています。着る視点でのジェンダー性、見られるという視点でのジェンダー性、見て、見られて、着て、着させてという点で、私たちのものづくりはジェンダーを否定しているのではなく超えたところで美しさを求めています。
IN. 大学での研究と学び、専門学校でのスキルの習得、職場での社会経験、海外での生活などの過程でmatohuが生まれる要因となる何か一つの流れ、軸のようなものを見つけたいのですが。手、針、糸、道具、工芸、職人、和などの言葉にたどり着くための様々な経験と時間があったはずです。
MT. 関口は大学では人間の尊厳というものを研究していました。その人がその人らしく生きていける環境とはどういうものなのか。本来、人間が生きて行くために自分の服は自分で作っていました。社会の中で作られた様々なものが、誰がどのような場所で、どのような条件で、どのようなプロセスで、どのような素材を使って作って来たのか。そこに深い信頼を持っていけるような環境を手放さなくてもいい社会がとても気持ちがいいのではないかと感じています。作り手も幸せになれる、そんな根源に戻ってみてはどうかと。
matohuの活動は、当たり前の健全な健康な社会に回帰されることが担保されるような取り組みと考えています。絶滅して行く技術や文化を継承して行く、発展、増やすことは難しいのですが、それらを保って行くことはとても大事です。15年取り組んで来て社会も変化しているし、自分たちも学び経験して変化しています。挑戦出来る機会や人的ネットワークが増えて来たことは私たちの財産となっています。慶長の美、日本の眼から、手のひらの旅を始めたことで、日本という冠を外し、手というキーワードで国境を超えた世界に踏み入れようとしています。日本の中の技術であっても世界中の技術と繋がっています。これからは海外での手のひらの旅を考えています。日本の美意識を伝えること、相手から学ぶこと、価値観を共有することは可能でしょう。世界中の人たちも私たちと同様に物作りに対しての危機感を抱いています。消えて行く技術、まだまだ求められて残っている技術、それらについて世界中の人たちと出会って議論してみたいと思っています。旅先で偶然出会う人や、いろんな業種の人たちの声に耳を傾けることです。
今回の展覧会で「見たて」というテーマのブースで製作している縄の作品も、私たちが以前ブラジルを旅していた時、たまたま入ったギャラリーで目にした作品からインスピレーションを受けたのです。別のもの、技術を転用する美学を見たてと言います。その作品は「見たて」そのものだったのです。日本的な美学をブラジルで発見できたのです。世界中で同じように、同じ美意識で楽しんでいる姿があります。それは皆が特別なことをしているわけではなくて、身の回りにあるものを土台にして営んでいる日常だからなのです。そのような感性や美意識はどんな国にも存在しているものだと思います。
ものを作って日々生活している人たちの現場に出会うことがとても大切で、インドを旅した時も、ものづくりの現場では言葉を超えたところでとてもうまく打ち解けることができました。「見たて」と同様に「ふきよせ」という概念も、日常で皆がああそうだよね!と共有できることなのです。それぞれの国の伝統工芸の世界にまで踏み込むことは難しいかもしれませんが、日常の生活に根ざした技術の中からは国境をこえて一緒にコラボレーションできる職人やアーティストに出会えると確信しています。また異業種のクリエイターの人たち、建築家やデザイナーとのコラボレーションも必要となります。今回の展覧会も、会場の空間構成についてはランドスケープデザイナーのDANTSUKA EIKI(Earthscape)さん、建築家で大工のFUHA HIROSHI(Atom Inc.)さんにお願いしています。照明構成については照明デザイナーのSHOJI HIROYASU(Light Design)さん、グラフィックデザインについてはTANAKA RYUSUKE(Nautilus-Go)さん、HIRANO ATSUSHI(Affordance)さん、会場のオリジナル音楽は作曲家のHATANAKA MASATOさん、和菓子提供はHIGASHIYAなど多くのクリエイターとコラボレーションすることができました。
IN. 食の世界で言われているトレーサビリティのように全てのプロセスを開示し責任を持ち、それぞれの存在意義を確認することはとても重要なことです。世の中は様々な価値観を共通化、共有化するために多くの言葉を産みます。例えば国連が提唱しているSDG’sやインクルーシブデザインなど、今や些細な小さな活動であっても全てグローバルに繋がってくる社会活動なのだということを認識しておかなければなりません。その中でファッションの世界が持つ個性や美意識が鈍らないようにするためにはどのように考えますか。公平性という価値観によって、機能的で、安く、早く、手に入るもの、皆が理解できるもので席巻される社会を目指す。そんなゴールだけではないはずです。そんな社会変革の中でファッションの世界が果たす役割のひとつとして、matohuが取り組んで来られてきたことはかなり重要であると考えます。日常の感性が持っている真面目さをひしひしと感じます。その真面目さと付き合ってくれる消費者と人生を共にして行く、丁寧に作られたものと一緒に時間を過ごして歳を重ねて行くことなのかもしれません。今回の展覧会ではこれまでの商品のアーカイブが展示されていました。近年のファッション業界では賞味期限の短いマーケットの中で時間とともに消費されて行くものがほとんどです。その反面matohuのアーカイブは一種の図書館のように同時代的に検索、試着可能な形で展示されていました。これはまさに過去が古いものというのではなく、次の時代への新しい作品を積み上げて行くためのストックとして、なくてはならない価値を生んでいるように思われました。
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